10月になってしまいました。9月に書いた記事、一件・・・。
誰も見てなかろうが見てようが更新しますよ!
9月は本当に怒涛の速さの過去最高の体感速度更新で(って毎月言ってる気がするけど)
仕事でも私事でも、はたまた友人・家族・職場 いろいろあったなぁ。
仕事の担当作品で自社でも始めての試み、というか社長の前々からの要望で、作中のキャラのARアプリを作ることになり、それを担当してました。
しかし担当者がガラケーだなんてね・・。見れないw
年内にはスマホにしないとなぁ〜。
それを、制作中の劇場作品のコンポジットと同時進行でやってて、後半はずっとそれの月末追い込みで死んでました。久しぶりに死の祭りに参加したのですが今回ゴッツかったです。
作品が作品なだけに、右を見ても左を見ても絶望しか無い。(にんげんがいっぱい死ぬ作品です)
でも、全て終わって明け方帰るときはとても清清しかった。やり切った。これで初号試写もスッキリした気持ちで見れる。
そんな絶望と殺戮の中、偶然井の頭公園であったKOKIAのフリーライブ。
ひとっぱしり行って見てきたら、希望に満ち溢れすぎてて正直泣いた。
そしてそんな中、付き合っている人の実家の猫が他界して、泣きに泣いた。
打っている今でも涙が出る。
聞いた直後は、ツイッターなどで容赦なく流れてくる猫の写真は悲しくて見れなかった。
実は一度だって会った事は無かった。
けど、いつもいつも写真を見せてくれて、その姿はどうしようも無くかわいくて。
ケータイにはその子の写真のフォルダができてた。
しんどいときも写真を見ると自然と笑ってしまった。
そして、私とその家をつなぐ何かだったような気がしていた。
ずっとずっと会いたかったけど、もう会えないんだなぁ。
動物を飼うということはこういった悲しみと常に向き合っていくことなんだな。
けど、それは親だって友達だって恋人だって同じなわけで、常に死は一体なわけで、そんなこと分かりきった上でそれでも人は寄り添って生きてる。
だから、結局は一緒なんだ、と。
そのときが来るけど 人も動物も一緒に生きてくんだ。
一緒に生きることを受け入れることは その人の死も受け入れることなんだ。
と、改めて実感した。
感情が揺れた一ヶ月。
いろいろあると、時が動いているのかそれとも止まっているのか、分からなくなりますね。
環境が変わらない以上、きっと、止まっているんだろうな。
そろそろ動かさなければならんね。